ざつ

SNSで呟くには長すぎる独り言。あとで見返して作品視聴当時の自分がどう感じたのかを知るための記録

どろろ(2019アニメ) 感想 

レジェンド手塚治虫原作の2019年アニメ、どろろを視聴しました。50年以上前の作品だと考えるとなんだか不思議な気持ちになります。原作は読んだことがないのでどこまでストーリーに手を加えられたのかは不明ですし、所々時代を感じましたが素晴らしい作品でした。戦国時代直前くらいの舞台で、海外でも評価が高いアニメです。かなりおすすめです。

 

醍醐の国の領主が国を大飢饉や流行病から救うため、12の鬼神と取引をしました。鬼神は領主の生まれてくる第一子の肌目手足背骨などあらゆる部位を代償として奪いました。赤子は産婆により息の根を止められる予定でしたが産婆は赤子から生きたい意思を感じ取り、小舟に乗せて川に流しました。

時は流れ16年後、その赤子は百鬼丸と名乗り鬼神やもののけを退治する旅にいました。鬼神を打つ度に奪われた体の一部が戻ってきます。百鬼丸が体を取り戻せば取り戻すほど鬼神との契約が薄れ、豊かになった醍醐の国はかつての地獄の地へと少しづつ戻っていきます。自分の体を取り戻したい百鬼丸、醍醐の国のため、民のため、自らが天下を狙うために百鬼丸を始末したい醍醐の領主とその息子多宝丸の対立が起きます。百鬼丸ひとりの犠牲の上にそびえ立つ醍醐の国。はたして百鬼丸と醍醐の行方はー。

 

以下ネタバレ注意(アニメのみ)

 

 

体を取り戻していく百鬼丸

全身が作り物だった百鬼丸が徐々に聞こえたり喋れるようになっていく様は応援したくなります。醍醐の国や民のために百鬼丸に犠牲を強いるどころか目や腕は醍醐のものと言い切る多宝丸らには流石に腹がたちました。最終戦で彼らが百鬼丸の目や腕を使わなければ全然理解できたのですが、あそこまでいくと最早同情の余地がなくなりました。しかしまぁ、ひとりの犠牲が代償で国一つ救えるなら、という思考は理解できます。この作品はそれを否定するのが非常に上手だと感じます。

 

どろろ

ブラックジャックに対するピノコと同じような存在。手塚治虫さんはこういうキャラをいれるのがお好きなようですね。精神的・道徳的なストッパーや支えの役割は理解できますが、なぜ毎回子供なのか。同い年ほどの男でも女でも良かったのではないのか。どんな極悪人にも命までは取るべきでない甘さがあるからこそ、百鬼丸が鬼神になることを止められた一方、悪人を見逃した甘さが人を死なせることに繋がるといった出来事もありました。サメ野郎とか一切の同情の余地がないのに見逃す上自由にさせておくのは無責任に他なりません。生かすなら責任を持って縛るなり牢にいれるなどして犠牲を増やさないようにしないとただの阿呆です。その点イタチらも間抜けでしたね。どろろを縛る脳はあってもサメ野郎は放置と、作者が狙ってイタチらのバカさを表現したとは思えませんでした。イタチの死や百鬼丸が多宝丸一向との戦闘を中断させるためにイタチらをバカにしただけのような気がしてなりませんでした。

どろろの親父もイタチらに裏切られたのは当然の流れだと感じます。頭ごなしかつ暴力的にイタチの提案を否定しただけでなく、成果の金を一人だけこそこそ持ち出したりして頭の器とも思えませんでした。結果として家族も守れなかったことと、イタチが完全な悪人として描かれていないことから作者もその辺りわかって描いたんだろうなと感じます。

 

多宝丸

当初景光がラスボスになると思っていましたが、多宝丸がそのポジションにいました。全てを手にした多宝丸に対し、全てを奪われたが百鬼丸の対比ですね。この二人の対比に母の愛を持ち出すか迷いましたが、縫(二人の母)が多宝丸に愛情がなかったとは思えなかったので割愛しました。全てを持っている多宝丸が何もなかった百鬼丸から奪おうとするからこそ、百鬼丸が自分の体を取り戻そうとする姿を素直に応援できたと思います。兵庫と陸奥との主従関係は良かったと思います。

 

醍醐景光

景光の描写が少なすぎてどうでもいい感じですね。縫に何か言われても反論や否定せず、ただ突き放すばかりで面白みの無いキャラでした。ラストは泣いてるのか何かの病に苦しんでえづいていたのかもわかりませんでした。泣くにしてもそういう奴だっけ?って感じですね。

 

すっごくどうてもいいツッコミですけど人工の背骨は流石に驚きました。野暮ですかね。

 

どろろはいいアニメでした。原作を知らない私からはそうとしか言えません。12話あたりで物語が進んだと思ったら、またしばらく普通の話に戻るので、中盤ちょっとだれますが最終的には見て良かったと思います。